Kijikko diary

上海在住。手芸と小沢健二を愛する、私のダイアリー。

魔法的な小沢健二

もしも、オザケンが日本のミュージックシーンから姿を消すことなく、
20年間ずっと私たちに音楽を届け続けていたら?



並行する世界では、
あらゆる会社員がオザケンの新曲を聴きながらハイテンションで通勤し、
ライブに行くため・CDを買うために上司部下関係なく
早退する人や有給を取る人が増えるため過重労働の問題も解消し、
クリエイティビティを触発された技術者がものすごい商品を開発しまくり、
難解な歌詞を読み解くうちに想像力たくましい人が増え、そのためいじめもなくなり、
世の中は素敵なんだと歌で気づかされた人は自殺をやめ、
同じような詞を書きたいと思う人が続出して執筆ブームが巻き起こり
日本の出版界が活況にわくだろう。



NEWS ZEROのロングインタビューで語っていたように、音楽にいろんなものを詰め込み、
ボロボロになったことで日本を離れてしまったオザケンなので、こんな仮定をするのも
ファンとしてあれだけども。ついつい思ってしまう。
もしも・・・と。
上記の並行世界は私の妄想だけど
確実に音楽業界だけでなくいろんな方面に影響を与える人。小沢健二
ミュージックステーションでの復活劇は本当に「魔法的」だった。



YOSHIKIと並んで座る。EXILEやHKTと並んでいる。
確かに、オザケンはそこに、現代の日本に「いる」らしい。
それだけでも涙が出そうな思いだった。



披露したのはアルバム「LIFE」より「僕らが旅に出る理由」と
新曲「流動体について」。
イントロが長い曲とアウトロが長い曲で、対になっている2曲、ということらしい。



「流動体について」は昨年のライブで確かに聴いたのだけども、
アレンジも違ったし、改めて歌詞も飲み込みながら聴いてみると
お父さんになったオザケンの曲、という感じがした。
子どもたちを見ながら「これでよかった」と今の自分を肯定し、
カルピスを飲むオザケン。なんちゅう浅い想像力。w



ちなみにカルピスウォーターは上海には出回っているけど北京にはなかった(はず)。
北京にいたときは、日本からカルピスの原液を2瓶持ち帰り、
一夏かけてちびちび飲むつもりが、夫がたくさん飲んでしまい喧嘩になっていた。
そんな貴重な嗜好品カルピス。喧嘩のもとカルピス。
オザケンもNYでちびちび飲みながら、子ども時代や、
日本に思いを馳せているのだろうか(だから浅いって・・・w)。



放送が終わったあとは、日本にいる友達と意見や感想を言い合う、メール合戦の始まりだ。
こんなことも、久しぶりでうれしい。



オザケンが考えていることが分からなくて、分かりたくて、想像しまくる。
意味不明すぎて放置していたところ、数年後、ふと腑に落ちる。・・・ちゅーこともある。



これこれ、これがオザケン!!
彼の一挙手一投足に意味を見出そうと、必死になる感じ!!
ググっても、ヤフーで検索しても分からなくて息苦しいけど、
考える楽しさ、発見する楽しさを味わえるのも、オザケンの「楽しみ方」だろうと思う。



もしも、間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の僕はどこらへんで暮らしてるのかな



過去のことを、決して偉そうではなく、謙虚に「間違い」と思えるオザケン
このへん潔く言い切れるあたり尋常じゃない内的進化を遂げられたものと、
浅い私は分析するんであります。



意思は言葉を変え、言葉は都市を変えてゆく



・・・深い。
深すぎて意味が分からない。
人の意思が言葉を介し、結局は街を動かすということなのか。
人の想いが大切ということ?それとも言葉を大切にするべきということ?
明日からの毎日を、建設的に生きていこうと思えた。
一つの目標は、この歌詞を理解すること。オザケンは、新しい目標を私にくれた。



ともかく「流動体について」を聴いて、私は非常に肯定的な気持ちになった。
オザケンとは結婚できなくて、貴重なカルピスを一気飲みするようなひどい男と結婚してしまったわけだが、
それも肯定しようと思った。気まずいママ友ともちゃんとしゃべれると思った。
神の手の中にいるのなら、私は宇宙のために、夫と子どもを大切にして、友達と仲良くして、手芸を頑張ります。と思った。



誰かにオザケン復活のことを話し、共感を得たいと願っていたところ、
Mステ後の週末にうちに遊びに来たのはあいにく(?)香港人3人。
彼らに、無理やりオザケンの魅力を説く。
小沢健二?名前は聞いたことがある気がするよ」
「なんで復活したの?お金のため?」
「うちの妻はアンディ・ラウがTVに出てたら、お前みたいに発狂してるわ」
・・・まあ仕方ない。



毎日録画を見て踊ったり、叫んだり、泣いたり。
あからさまに発狂ぎみな母を見て、子どもも引いている。
鼻息の荒い私に危機感を覚えたのか、娘から
「みんなの前で、おざわけんじの話をしないで。はずかしいから」と言われてしまった。



そんな娘も受け入れようと思う。
今、私はすべてを肯定する。オザケンファンに見合う私でありたいし。
拝啓、小沢健二さま。数分間の魔法をありがとう。
夢が夢なら、それでもかまわないわ。