Kijikko diary

上海在住。手芸と小沢健二を愛する、私のダイアリー。

祖母のバブ

祖母が亡くなった。
83歳だった。
2018年8月18日18時8分。



ただただ悲しい、というわけではなく、少しほっとしたような、
よかったような気持ちになれたのは、祖母が3年以上も病院と施設を
行き来してほとんど寝たきり、食事もできず、
受け答えすらままならない状態が長かったからだろう。



がんばっていた、つらそうな姿を見せてもらえたからこそ、
私たちも少しずつ心の準備ができて、悲しみと安堵が入り混じったような気持ちで、
その日を迎えることができた。



話は変わってバブ。
花王のバブが、祖母が亡くなる数ヶ月前、我が家で発掘された。
8年以上前、祖母が上海に行く私に持たせてくれたものだ。



もらってすぐに妊娠して、ずっと使っていなかった。
上海、北京、上海と何度も引越したが、その都度、家のどこかに保管していたのだ。



ボロボロになった箱を子供たちと開けてみたら、ピカピカのバブがたくさん出てきた。
お風呂に入れると泡がでてきて子供たちも大喜び。
ゆずフレーバーだった。
「おばあちゃん、いいのくれたね〜〜!!!」と喜びながら入っていた。



縁起の悪いことに、娘は「これが溶けたらおばあちゃんの命がなくなる〜!!!」
なんて言っていたので叱ったが、おバカな息子は真似をしてバブのことを
「いのち〜」と呼ぶようになってしまった。



そんなこんなで、
その、命のバブをいくつかお通夜のときに持っていって、親戚の一部に渡した。



そしてお通夜の夜、親戚みんなでおばあちゃんの、いろんな話をした。
最近は寝たきりで、会いに行っても寝ていることが多くて、辛い気持ちが勝っていたが
元気なときの、優しい優しい祖母のことをたくさん思い出せて本当によかった。
大好きな気持ちを先頭に持ってきたまま、お別れができた。



家出をしておばあちゃんと寝たこととか。
高温でつくる、おばあちゃんのスクランブルエッグとか。
ああ、あと、私が好きな思い出。



私が小学生だったある日、父方の祖母(もう10年以上前に他界)と私が駅前に出かけていた。
洋品店のウインドーにすてきなブラウスが飾られてあったので立ち止まって二人でみていたら、
あとから来て、立ち止まってブラウスをみる人がいる。



ふと気づくと、それは母方の祖母(今回亡くなった祖母)だった。
偶然にも、二人の祖母と私、3人でウインドーを眺めていたのだ。
偶然ですね、いやぁそれにしてもきれいなブラウスですね、なんて二人が話してて
ブラウスを眺めた時間が、私にはすごく幸せだったのだ。
いい思い出だ。



お通夜の夜、おばあちゃんの隣の部屋で寝た。
子供たちもそこで寝た。もちろんバブのお風呂に入った。
朝は娘考案の「とりとりダンス」なるものを踊りながら
おばあちゃんの周りをぐるぐる回っていた。



にぎやかな2日間。
お葬式はいいものだな、家族はいいものだなと思えた2日間。
物静かでいつもにこにこして、否定的なことは一切言わないおばあちゃんが
くれた時間。とても居心地がよかった。
ありがとう、ありがとう。